【開催報告】東日本大震災10年後特別イベント

3月11日~被災地の10年後、そして、新たな挑戦が始まっている~

社会デザイン・ビジネスラボ
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開催報告

東日本大震災から10年目の節目となる、2021年3月11日。社会デザイン・ビジネスラボでは、被災地である南相馬(福島)、気仙沼(宮城県)、陸前高田(岩手県)の3拠点をオンラインでつなぎ、 Webイベント「東日本大震災10年後特別イベント 3月11日~被災地の10年後、そして、新たな挑戦が始まっている~」(主催:社会デザイン・ビジネスラボ、共催:一般社団法人 ソーシャルビジネス・ネットワーク)を開催。 復興の現状や課題を議論し、次のステップへ進むための挑戦、協働や連携について話し合いました。


日時:2021年3月11日

目次

【会長挨拶】未来につながる挑戦に向けるまなざし

メイン会場となる陸前高田の発酵パーク「CAMOCY(カモシー)」から、 社会デザイン・ビジネスラボの中村 陽一会長が、開催の挨拶として復興において 心がけるべきポイントについて述べました。

中村: 被災からの復興に取り組むうえで、心がけるべき、二つの要素があります。 一つは、決して元には戻れない「不可逆性」。もう一つは、前に進み続ける意思の表れである「創造性・創発性」です。

発災からの10年、復興作業の多くは、がれき除去などの土木工事や都市計画といった、 目に見える形での復興が中心でした。しかしこれからの復興作業においては、被災された方や地域がつながり合って関係性を深めていく、 「心身共の幸せ(Well-being)」が重要になります。

そのような状況において、社会デザイン・ビジネスラボは持続可能な利他性を持ったビジネスを奨励し、地域に根付かせることによって、 復興の一助になりたいと考えています。

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【トークセッション】今、そして未来を語る
 ~福島、宮城、岩手をつなぎ、復興の現在と未来を語るセッション~

トークセッションでは、南相馬、気仙沼、陸前高田で復興に向けてビジネスを展開している方々をオンラインでつなぎ、 これまでの10年を振り返り、そして前進するための思いなどを語り合いました。 MCは、株式会社八木澤商店 代表取締役社長 株式会社醸(カモシー)取締役 河野 通洋氏が務めました。

【南相馬】コミュニケーションとつながりを大切にしてきた10年間

南相馬からは、株式会社北洋舎クリーニング 代表取締役、高橋美加子氏、南相馬&杉並トモダチプロジェクト 代表 狩野菜穂氏、南相馬で乳製品を製造している松永牛乳株式会社 代表取締役社長 井上 禄也氏の3名が登場しました。

高橋氏: 避難指示区域とされた南相馬市原町区では、震災後に町から人の気配を消すまいと花を植えたプランターを置くなど、 多くの人が努力をしました。特に印象的なのは、震災2年後に完成した高見公園です。 当時はまだ子供たちが外で安全に水遊びをするのが困難な時期だったので、公園内のじゃぶじゃぶ池は非常に価値のあるものでした。 また若者のために100の起業をしようと始めたコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」からは、 新しいビジネスが生まれようとしています。

私の考える復興とは、「従来とはまったく異なる新しいモノを持ってきて、雇用を増やす」ことではありません。 今ここに住む人たちが、豊かになって楽しくなっていく「復興」でなければいけないと信じています。

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狩野氏: 私は2016年に杉並区から南相馬に移住しました。きっかけは震災から間もない時期、 被災地への支援物資の寄贈を通じて、仮設住宅でパンを製造、販売している方とかかわりを持ったことでした。 音楽活動を行っていた私は、企業CMのジングルを制作した経験もあります。 そこで私から「仮設住宅のパン売り場で鳴らすジングルを作らせてください」と頼んだのです。

ジングルの提供後、被災地から「南相馬に残ってくれた子供たちが、あなたの曲を聴きながら踊っている」 という声が届きました。そのときの感動は今でも覚えています。

そのような縁から、被災地でのライブ活動だけでなく、杉並区と南相馬市の子供たちを歌とダンスでつなぐ 「トモダチプロジェクト」を始めることになりました。 この活動では、友達同士がお互いの家を行き来して遊ぶように、杉並区と南相馬の子供たちがお互いの住む街を訪れて、 ともに交流するプロジェクトを実施しています。

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井上氏: 原発事故の影響で、福島の食品に対する風評被害が発生しました。 当社を含めた福島の企業は、厳しい基準をクリアした製品のみを販売しています。 しかし、食品中の放射性物質について抗議される方に、化学的観点から安全性を説明したとしても、聞いてもらえないことがあります。

そのようなとき、「どうしたら当社の意見を伝えられるのか」と考え続けた結果、 ビジネスの継続には「人同士のコミュニケーション」が重要であることに気が付きました。

例えば、松永乳業で70年以上制作しているアイスまんじゅうも、「人々のコミュニケーション」から生まれた 「コミュニケーションツール」といえます。私の祖父は戦争で傷ついた地域を繁栄させようという思いから、松永牛乳を起業しました。 「アイスまんじゅう」も、その製法は戦禍を逃れて疎開してきた人から教わったものです。 このように、人とのつながりによって企業は成長していくと感じています。

震災後は一緒に働いていた仲間たちも散り散りになってしまいました。 通常、企業がもっとも大切にするものは、顧客であるお客さまとされています。 しかし私にとっては、従業員や取引先の方などの「仲間」より大切なものはありません。 人々のコミュニケーションを円滑にするアイスクリームを生産する当社は、 今後も地域とともに成長していきたいと思っています。

【気仙沼】漁業の街を「漁師ファースト」で復興

続けて、水産品を中心とした食品業者、株式会社斉吉商店専務取締役であり、気仙沼を盛り上げたいという女性が集まった気仙沼つばき会を運営する 斉藤 和枝氏と、水産物の輸出入やコーヒーショップを経営する株式会社オノデラコーポレーションの常務取締役であり、 漁師の活動を支援する一般社団法人 歓迎プロデュースを運営する小野寺 紀子氏の2名が登場しました。

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斉藤氏: 震災直後の気仙沼は、津波に家屋や施設を破壊され、あたり一面泥だらけ、火の海でした。 変わり果てた街並みにぼうぜんとしていると、沖から陸の状況を心配した漁船がやってくるのが見えました。 そのとき、「気仙沼には船があるんだ!」「この船こそ、復興には必要だ!」と感じたことを覚えています。 そうした思いから始まったのが、気仙沼の観光的価値を世界にアピールする「気仙沼つばき会」と、漁師の活動を支援する「歓迎プロデュース」です。

古くから続く漁師町である気仙沼市では、船が漁に出るたびに、多くの人々が集まって見送る「出船おくり」という風習があります。 しかし震災後はその余裕もなく、漁師は誰からも見送られずに出漁していました。そこで「気仙沼で出船おくりをやりませんか」 と発信したところ、300人以上の方が集まってくれたのです。その後、気仙沼つばき会と歓迎プロデュースの活動が始まりました。

震災当時は、私も小野寺さんも、家だけでなく会社の施設まで流されてしまいました。 けれども私たちは、次の代もその次の代もこの土地で暮らし続けていかなければいけませんし、暮らし続けていきたいと思っています。

井上氏: 震災後は、漁から帰った漁師さんが温かいお風呂で体を休めることもできない状況でした。「漁師町はそれでいいのか」と疑問を感じた私たちは、 トレーラーハウス型のお風呂を用意しつつ、おいしいごはんやお酒を提供する「歓迎プロデュース」を展開しました。今は、鶴亀の湯、鶴亀食堂を経営しています。

その後、歓迎プロデュースは鶴亀の湯、鶴亀食堂の周囲に、いくつものトレーラーハウスをウッドデッキでつないだ「みしおね横丁」を作りました。 インドネシアの料理、メキシカン料理なども楽しめます。訪れた海外のお客さまからは、「おいしい魚も食べられて、飲み屋さんもある、こんなに楽しいキャンプ場は初めてだ」 とうれしい声をいただきました。

私たちのコンセプトは、気仙沼の水産業を支える漁師の方々を最優先にする「漁師ファースト」。最終目的としては、気仙沼を「世界で一番漁師さんを大切にする町」にしたいと考えています。 そのうえで、一般の人や海外から来た漁師の方々が、「気仙沼っていい町だな」「また来たいな」と思ってくれればうれしいですね。

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【陸前高田】「自分たちの手で何とかしなくては」と思う若者の力

続けて、米崎りんごの生産・販売者、特定非営利活動法人LAMPの代表理事を務める松本 玄太氏が登場しました。

松本氏: 私は2012年4月に陸前高田へ移住してきました。そして気が付いたときには、つなぎを着て、陸前高田市の名産品である米崎りんごの生産・ 販売活動するNPO法人の代表を務めていました。

米崎りんごの生産に携わる農家さんは120軒ほどいます。しかし30代は1人だけ。その彼が、ポツリと「親の世代は仲間がいるが、 私の代では自分だけでやらなきゃいけない」と言ったのです。それを聞いたときに「この人の仲間になろう」「仲間を増やしていこう」と決断したのです。

その活動が、2019年の「陸前高田 食と農の森」という45歳以下の若手農家で構成された団体の誕生につながりました。 7人の中心メンバー中5人が震災後に就農した者であり、そのネットワークを作りたいという思いから生まれたものです。

陸前高田にはIターン、Uターンが増えていますが、その中には私を含めてですが、移住者もいます。 彼らと話していると、自らは被災していないにもかかわらず、「自分が何とかしなくては」という思いを持って復興に取り組んでいる人が多いことに気づかされます。 そういった仲間たちとともに活動を進められるのは、うれしいことですね。

今後は、彼らのような陸前高田で働きたい人と地元の生産者がつながりつつ、地産地消や地域循環を促進するための農業交流施設を造っていきたいと思っています。

また、以前東京でピアニストをやっていた私は、LAMPの活動以外にも、陸前高田のアーティストに楽曲提供をしたり、ゴスペルを教えたりしています。 ですので、将来は地域の食と産業、音楽を融合させるような取り組みにも挑戦してみたいですね。

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【未来パネルディスカッション】これから地域と繋がり何ができるか?

トークセッション後、発災時間である14時46分に黙とうが行われました。その後、陸前高田の発酵パークCAMOCYの代表であり、なつかしい未来創造株式会社 代表取締役社長である田村 満氏と、 訪問リハビリサービスや薬剤薬局を運営しつつ、オーガニックチョコレートのCacaoBromaを販売するロッツ株式会社の代表 富山 泰庸氏が、これまでの10年を振り返り、 目指している未来についてご説明いただきました。MCは中村会長が務めました。

田村氏: 私はもともと4校の自動車学校の経営を務めていました。しかし、今では発酵パークCAMOCYだけでなく、農園からガソリンスタンドまで、数多くの活動にかかわっています。

そこで培った「経営魂」で陸前高田を見てみると、必要なのは「復旧」ではなく「復興」であることがわかってきました。 しかし、本来復興に取り組むべき行政は、インフラの回復などの復旧作業を優先せざるを得ません。だからこそ私たち経営者は、復興に取り組む必要があるのです。

CAMOCYでは、さまざまな発酵食品の製造、販売を手掛けています。おいしく、かつ健康にいいお菓子やお酒を提供することで、 高齢になっても健康でばっちり働きながら、地域に貢献できるかっこいいおじいさんとおばあさんを増やしていきたい。私はそのような考えの基で、CAMOCYの経営に携わっています。

富山氏: 私自身は被災者ではありませんが、震災直後に被災地に駆けつけました。すると処方が必要であるにも関わらず、薬剤が手に入らずに困っている多くの患者さんを目にしました。 そのような方々に、合法的に薬剤を届けることを目的に立ち上げたのが、調剤薬局などの運営を行うロッツです。

「すべての患者さんを健康にする」という企業理念の延長線上で始めたのが、脳卒中や心疾患などのリスクを低減し、肝機能の回復にも効果のあるとされているオーガニックカカオを用いたチョコレート「CacaoBroma」です。

私はCacaoBromaのほかにも、被災地の復興を目指して、さまざまな事業を立ち上げています。そのたびに出費がかさんでいくのですが、「被災地が抱える悲しみや苦労を笑顔に変えたい」 という夢の実現に近づいていることは日々実感しているので、挑戦をやめようとは思いません。

これまでの10年振り返って感じるのは、被災地を支援しようとこの地にやってきたのですが、実は私がこの地域の人に支えられ成長させてもらっていたという、感謝の気持ちですね。

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【クロージング】CAMOCYに見る、三つのチャレンジ

最後に中村会長が総評を語りました。

中村: CAMOCYは未来型ビジネスの一つのモデルであり、今後の日本社会に重要な三つのチャレンジをしていると思います。一つ目は、元に戻すだけの「復旧」から脱するためのチャレンジ。 二つ目は、従来の流通、販売といった枠組みを変えていくチャンレンジ。三つ目は、複数の組織がチームビルディングをしっかり行い、あたかもCAMOCYという一つの有機体のように活動していくというチャレンジ。 この三つのチャレンジをつなぐのが発酵ではないでしょうか。

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